2013年7月4日木曜日

続・紫香楽宮

興味深いサイトを見つけました。

続日本紀によりますと、紫香楽宮が作られた天平時代には、大地震のみならず摩訶不思議な出来事が頻発していたようです。
前回の投稿で、紫香楽宮が捨てられたのは、平城への還都を謀る一部官人による放火が原因のような書き方で終わってたのですが、放火が有ったとしても、立て続けに起こった信じられない自然災害が大きな要因だったと思われます。

天平時代の地震からちょっと抜粋してみました。

●天平3年6月 今の和歌山県あたりで海水が血の色のようになった。
●天平6年 畿内・七道諸国大地震。
●天平7年5月4日 夜、天の多くの星が入り乱れて運行し、通常の位置になかった。
●天平14年正月 陸奥国で赤い雪が降り積もった。
●天平14年6月5日 夜、京中のところどころに飯が降った。
●天平15年5月 今の岡山県でクジラの集団座礁
●天平15年6月26日 宇治川の枯渇。日照りのせいと考えられるが、2時間だけ水がなくなった。
●天平17年4月27日 内陸部で起きた巨大地震(M7.9)。それ以降の地震記録の異常な多さ。

上記巨大地震の前後それぞれ1ヶ月間に山火事の記事が突出して多い。気候が異常高温・乾燥であったためか?

以下は紫香楽宮関連部分です。
日付は旧暦ですので、太陽暦とは季節感がずれています。


天平十五年(743年)十月 紫香楽の地において大仏造立の詔を発布。
 同年末に恭仁京の大極殿が完成するも、新京の建設は中止される。

16年夏4月13日 紫香楽宮の西北の山で火事。
16年5月4日(18日の誤りか) 肥後国で雷雨と地震。八代・天草・葦北の3郡の官舎と田290余町、民家470余区と、人1520余人が水中に漂ったり水没したりした。山崩れが280余ヵ所、40余人が圧死した。
16年6月21日 氷が雨のように降った。

天平十六年(744年)十一月十三日 紫香楽の甲賀寺に大仏像の体骨柱(たいこつちゅう)が建てられ、天皇自ら縄を引かれる。

16年12月2日 星が将軍(二十八宿の婁宿の北にある天大将軍)の方に光り輝いて流れた。

天平十七年(745年)の年が明けると、紫香楽宮への遷都が宣言される。

17年夏4月1日 紫香楽京の市の西の山で火災。
17年4月3日 寺(甲賀寺か)の東の山で火災。
17年4月8日 伊賀国の真木山(三重県阿山町)で火災。3、4日間燃え続けた。
17年4月11日 紫香楽の宮城の東の山で火災。幾日も鎮火しなかった。
17年4月13日 夜、小雨があり、火勢が衰え鎮火した。
17年4月27日 この日、一晩中地震があり、それが三昼夜続いた。美濃国では国衙の櫓・館・正倉・仏寺の堂や塔・人民の家屋が被害をうけ、少しでも触れると忽ち崩壊した。
17年5月1日 地震。
17年5月2日 地震。
17年5月3日 地震。
17年5月4日 地震。
17年5月5日 地震があって夜昼やまなかった。

五月五日、聖武天皇はついに紫香楽を捨てて恭仁京へ向かわれる。

17年5月6日 地震。
17年5月7日 地震。
17年5月8日 地震。4月以来雨が降らず、田植えができない。諸国の神社で雨乞い。
17年5月9日 地震。近江国の人民1千人を徴発して、甲賀宮周辺の山火事の消火に当たらせた。
17年5月10日 地震。
17年5月11日 甲賀宮は無人の地となり、山火事の火もまだ消えなかった。

十一日には奈良平城京に戻られる。民衆も競って平城を目指し、その行列は昼夜途切れることなく続いた

17年5月16日 地震。
17年5月18日 地震。
17年5月 この月の地震の多発は異常であって、度々地面に亀裂が生じ、そこから泉水が湧出した。
17年7月17日 地震。
17年7月18日 地震。
17年8月24日 地震。
17年8月29日 地震。
17年9月2日 地震。


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