2013年1月23日水曜日

TL50とTLM50改TLR80 エンジン不調の記録

記憶が残ってるうちに?書いておきます。

TL50です。
記憶があやふやなのですが、'80年代の終わり頃から'90年代の初め頃まで?乗ってました。


エンジンとメーターはCB50になってたので、TLなのにタコメーター付きだったような?(き、記憶が・・・)


TL50の次に乗った、TLM50改TLR80です。
TLM50の車体にXL80Sのエンジンが載せてあり、マフラーはTLR200でタンクはCD125です。
'90年代の初めから?'00年代の初めまで乗ってました。

この2車に共通していたのは、すこぶる調子が悪い!と言う事です。
TL50はSバイク店、TLM50改TLR80はYバイク店と言う、違うバイク屋さんで買ったにもかかわらず、まったく同じ症状。

火花バチバチで始動性は良かったのですが、アクセルにエンジン回転がついてこない!アクセルをそ~っと開けて暫く待つと、ウ~~~~ン、パンッ!パンッ!と、アフターファイヤーを起こしながら回転が上がってくるのです。なので天下一品のアホでもバカでも鈍感でも、このバイクはおかしい!と分かるんですね~
これはポイントだ!バルブタイミングだ!キャブセッティングだ!バルブ磨り合わせだ!いやいやピストンとリングを新品に!と、弄りまくったのですが変化は僅か・・・原因不明でお手上げ状態。
「古くなるとポイントが濡れるから・・・」と、訳の分からない事を言い出すバイク屋さんも出現する始末。

そんなバイクでも慣れれば乗れるもので、通勤にツーリングにとお気に入りのバイクでした。

が、ある年の正月2日、急にCDI点火にする事を思い立ち、すぐさま実行。
内蔵ピックアップで、フライホイールの磁石の位置を読み取れば点火時期が決められる筈だ。と、試行錯誤して何とかテスト走行まで漕ぎ着けました。
すると、正確な点火時期はまだ決まってなかったにもかかわらず、普通に回り普通にアクセルに反応するようになりました。


と言う事は、

あの回転不良の原因はイグニッションコイルだ!

そうです。数年間に渡って悩まされたエンジン回転不調は、キャブセッティングでも機械的な部分でもなく、電気!
バチバチと火が飛び、良好な始動性で見逃していたイグニッションコイルが原因だったんです。

意図せず原因は分かったものの、せっかく始めたCDI化でしたので、我がバイクはそのままCDIにしてしまいました。

後に、Sバイク店に有った同じ症状のCB50?のイグニッションコイルを新品にして、原因がイグニッションコイルで有る事を確認しました。
'98~'00年頃の事です。当時の価格は2.000円位だったような・・・

もっと早く原因が分かっていれば、2.000円で気持ちよく乗れていたのにね~


2013年1月20日日曜日

旧東海道本線追分辺り その2

2008年12月5日旧東海道本線追分辺りと2013年1月4日長年の疑問解明の続きです。
私の疑問は「京都 山科 東西南北」で解決したのですが、福岡のゆおりんさんに、1972年発行の「地図の楽しみ」(堀 淳一著)にその話が載ってる!と教えて頂き、早速オークションで落札しました。

安く(200円)手に入ったと喜んでいたら・・・
amazonだったら27円で売ってる!とゆおりんさんに突っ込まれ、半泣きになりました。(さめざめ、さめざめ・・・)


amazonって、古本まで売ってたのねーーーーーーっ!
著者の堀 淳一さんがこの辺りを踏査されたのは、1966年の4月と7月だそうですので、私が「この道変だな~」と思った2、3年前の事のようです。
その頃の道が・・・


懐かしい風景なのですが、40年と言う時の流れで記憶はおぼろげです。
十代の私は、この道を歩いて違和感を感じたんですね~
ちなみに、後の尾根に有る鉄塔は今でも有ります。


今日のほぼ?同じ場所です。


これです!
これが40数年間の疑問の答えです!
でも、この図は少し違うような・・・
この図では廃線跡が京都東インターの外になってますが、廃線跡はインターチェンジの中になるように思います。

ちゅうか、ゆおりんさん有難うございました。どうやって本の中身が分かったのかとても不思議です。


2013年1月14日月曜日

旧東海道本線 大塚信号所の痕跡?

旧東海道本線跡の道路に面した、妙見寺のブロック塀です。


Googleの航空写真で、妙見寺の塀の中に、コンクリート製と思われる平で細長い部分が有るのを見つけました。


オレンジの線と道路の間が、謎のコンクリート面です。

このコンクリート面は道路と同じ高さで、オレンジの線を引いた部分は石垣です。
石垣の形状は、妙見道南側のトンネル跡に残る石垣とそっくりです。


妙見道南側の石垣です。
石垣の最奥、木が生えてる所がトンネル跡です。

(追記)
上の画像は妙見道南側の一般住宅の土台部分ですが、石垣の上のコンクリート部分は、ひょっとすると妙見寺敷地内の謎のコンクリート面と同じものかも知れません。


昔は石垣が繋がっていてトンネルで潜る道しか無かったのかも知れません。
古い地図を見ると、妙見寺前で道がくの字にトンネル方向に曲がっていて、現在のように真っ直ぐにはなってません。
鉄道が無くなってから、石垣を崩して真っ直ぐな道にしたのだと思われます。だから妙見寺前が特に急坂なのでしょう。

謎のコンクリート面の石垣とトンネル跡の石垣は同じもののようですので、妙見寺敷地内に残る謎のコンクリート面も、旧東海道本線大塚信号所(右クリックして、マーキーズームで拡大すると読みやすいです)の一部だったのかも知れませんね。


2013年1月4日金曜日

長年の疑問解明

山科は古来より交通の要衝で、私が小学生の頃には、名神高速道路、東海道新幹線、現国道1号線(五条通)、外環状線と矢継ぎ早に建設されました。


東海道新幹線音羽山トンネルの山科側です。
入り口の上を横切っているのは名神高速道路です。
右側の木が茂ってる場所に、作業員宿舎が立ち並んでいました。難工事だったようで、何名かの方がお亡くなりになってます。何処かでネームプレートを見たような気がするのですが、記憶が定かでは有りません。

この写真を撮影してる陸橋?高架?は当時から有りまして・・・


トラックの先、坂を上りきったところが陸橋?高架?です。
当時この辺りには家屋の一軒も無く、山側は竹林で変に広い地道でした。
その頃は、トンネル工事の資材運搬のために作ったんだろうと思ってたんですが、後年此処は東海道線の跡地だったと知りました。
大正10年までこの道を蒸気機関車が走ってたんです。
どうりで妙に広く感じたんですね。

で、坐骨神経痛対策でこの道を歩いていたら・・・


妙見寺の塀にこんな案内板が取り付けてありました。
この案内板は、山科区役所発行の「区民が選んだ魅力を訪ねて 京都山科 東西南北」と言う冊子に掲載したものからだそうです。


トンネル跡は、住宅の土台の下に有りました。
東海道線の痕跡は、'70年頃?の道路転用と周辺部の宅地化ですっかり無くなってしまったと思ってたんですが、僅かに残ってたんですね~

ここからが本題。「長年の疑問解明」です。

先ずは2008年12月5日に書いた旧東海道本線追分辺りをご覧ください。

長年の疑問の答えが、冊子の(五)東海道線の中にありました。(右クリックして、マーキーズームで拡大すると読みやすいです)
また小山一石畑付近の名神高速道路の北側にある市道小山四ノ宮線も廃線跡で・・・と書いて有ります。

やっと疑問解明!十代の頃に感じた違和感は正しかったんです!
ああ~ すっきりした!


2013年1月2日水曜日

ヘルメットカメラ充電器

ヘルメットカメラにしているマイクロレコーダーの最大録画時間は380分。しかし内蔵バッテリーは1.5時間しか持たない。
せっかく380分も録画できるのにこれでは勿体無い。ツーリング中にバイクで充電したいなぁ。


と言うことで、100円ショップでDC充電器とケーブルを買ってきました。


TLRの使ってない配線(勝手にサービスコンセントと呼んでいる)に接続するために、コードをハンダ付けしギボシ端子に変更。

(追記)
配線図を見たら(今頃かよ!)黒線もオス端子でした・・・(泣)
打ち直します・・・


んげっ!買ってきたケーブル(左側)の、小さい方(カメラ側)のプラグ形状が違った!


仕方が無いので、カメラに付属してたケーブルで充電テスト。(問題なく充電できました)
もう少し長いケーブルを手に入れれば、充電しながらの撮影も可能です。