2011年9月18日日曜日

白鳥越(青山越)

今日は、本当に偶然出会ったイーハトーブさんに、知らない道に連れて行って頂きました。
途中までは走った事の有る道だったのですが、最後まで走っていなかったのでとても新鮮で楽しかったです。イーハトーブさん、また宜しくお願いします。

で、小休止の間に昭和初期の地図の話になり、以前書いた白鳥越(別名:青山越)の入口が間違っていたので気になっていると話したら、近くだから見に行こうと言う事になりました。


ここが、以前白鳥越入口だと書いた道です。私の2万5千分の1の地図(昭和50年代に発行されたものだと思います)には、実線(幅員1.5~2.5mの道路)で引かれた道が、此処から壺笠山の手前を通って四ツ谷川の林道へと繋がっています。
で、この道が壺笠山城への大手道だと思っていたのですが、昭和初期の地図では、この道は壺笠山頂上から200mほど下の谷筋で終わっていて、壺笠山へは京阪石坂線穴太(あのう)駅横の道を上って行くようになっています。
その道を穴太道と言ったようですが、現在は穴太道のルート上が「湖の美が丘団地」と言う住宅街になっており、穴太道は無くなってしまったようです。
痕跡を探しに住宅街を上っていったのですが、何も見つかりませんでした。

※先ほど検索したら、一番上の突き当たりの杉林に細い山道が有るようです。(見落としました)

ので、別の林道から回り込みました。


一つの林道の突き当たりで、壺笠山城下辺りになります。石垣が崩れたような痕に見えます。
'80年代の事ですが、城跡には崩れていない石垣が少し残っていました。


大手道だと思っていた道ですが、どうも広すぎるようです。'70年代後半頃に作られた林道なのかも知れません。
'80年代の初め頃? 上から下ってきて身動きがとれなくなった車が放置されていました。今日は無かったので、何時の頃か片付けられたようです。


この林道に来たのは20年ぶりでしょうか?行き止まりまで走ってみました。
当時は砂利っぽくて土が剥き出しの林道だったのですが、この20年の間にすっかり草に覆われ良い雰囲気になっていました。

で、帰りにちょっと脇道に入ったら・・・


石の右横も地面が有る!と思って何気なく走ったら・・・
落ちましたーーーっ! 地面が有りませんでしたーーーーっ!
一人だったら持ち上げられませんでしたね。イーハトーブさん有り難うございました。助かりました。
こう言う事が時々ありますので、これからも宜しくね。うふっ!


フロントフェンダーの前側が上向けに曲がってました。
一応元に戻したんですが、(って、押し下げただけです)明日にでも外して再修理します。
ほな。


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