2011年4月24日日曜日

トンネルが掘れなくて

現在、京都駅から山科駅までの所要時間は5分ほど。トンネルを抜けるたら、もう山科です。

しかし、東山トンネルが出来るまではかなり遠回りだったようです。京都駅を出た列車は東山を避けて南へ、稲荷山を周り込むように東へ向きを変え、やっと山科へ。

当時の山科駅は外環状線と名神の交差した辺りに在り、その頃の山科の中心地(旧三条通りの安祥寺通りから四宮辺りか?)から歩くと30分はかかりそう。
さらに山科駅から京都駅までの乗車時間を30分と見積もると、山科中心部から京都駅までは1時間ほどかかったかも知れません。


明治45年測図 2万分の1地形図 部分 大津街道│神谷ホームページさんでお借りしてきました。

1879年8月18日に京都~大谷間で仮開業したこの路線は、1921年8月1日の新線(現在の東海道本線)開業まで使われ、残された路線の京都~深草間は奈良線に転用。深草から名神高速大津インター入口辺り(大津駅、膳所間)までの路線は完全に廃線となり、後に名神高速道路(一部一般道)になりました。


Yahoo!の航空写真です。

航空写真だと路線跡が良くわかります。凄い時代ですね。


<25日追記>
1932年(昭和7年)京都東南部:国際日本文化研究センター所蔵地図
昭和7年版ですので、旧東海道線は既に廃線になっているのですが、廃線跡がハッキリ載っています。数回クリックして拡大してご覧ください。


2 件のコメント:

イーハトーブ さんのコメント...

2011/4/26 0:37
この記事を見て気になって、五条バイパス(国道1号線)の開通を調べたら1967年(昭和42年)だそうですね。えらい最近?ですやん。
名神高速道路(1963年)よりもさらに後だったとは驚きですぅ。

buratto28go さんのコメント...

2011/4/26 7:09
イーハトーブさん、小学生の頃新幹線の音羽山トンネルを掘ってましたし、開通前の名神高速道路に入って写した写真が有ります。
また、五条通が工事中の頃?野イチゴを食べてた気憶が有ります。
で、愛生会病院が京都銀行山科支店の所から現在地に移り、何時の間にか外環状線が出来ていました。(記憶が・・・)
あの頃、一気に山科の里が町に変ったような・・・