2008年11月29日土曜日

四宮河原

平家物語 〈六代〉

「最後の御供で候らへば、苦しうも候らはず」とて、血の涙を流して、足にまかしてぞ下りける。若君は、さしも離れ難くおぼしける母上、乳母の女房にも別れ果て、住み慣れし都をば、雲井のよそに顧みて、今日を限りの東路におもむかれけん心のうち、推し量れてあはれなり。
駒を速むる武士あれば、我が首切らんかと肝を消し、物を言い交わすもの有れば、すは今やと心を尽くす。四宮川原と思へども、関山をもうち過ぎて、大津の浦にもなりにけり。粟津の原かとうかがへば、今日もはや暮れにけり。国々宿々うち過ぎうち過ぎ下りたまふほどに、駿河の国にもなりしかば、若君の露の御命、今日を限りとぞみえし。


伊勢参宮名所図会 〈東海道 四宮村 四宮川 巡地蔵〉
橋の両側にスロープが有ります。牛馬や大八車などを通す為の道で、鴨川に掛かる橋には今でも残っている所があります。


この絵の右下方向(北西)から撮影した画像で、奥側が逢坂山(大津)方面です。


左の建物が絵に書いて有る巡地蔵。(徳林庵の六角堂)です。
ベンチの向こうに見えているのが四宮川にかかる橋。軽自動車の向こうの建物はお茶所で、古い茶釜が有ります。
この場所は飛脚や旅人の休憩地だったそうで、手前に見える馬の為に掘られた井戸には、日通のマークである○に通の文字が彫られています。

毎年8月22~23日の地蔵盆には、山科~四宮間は通行止めになり、多くの夜店で賑わいます。
昔は、山科の中心と言えば、ここ四宮川原だったのかも?知れませんねぇ。


2008年11月25日火曜日

石座(いわくら)

山科に住んで50年近くになります。
んが、まったく知りませんでした。申し訳有りません。
最近出来た安物の神様だと、ずーっと思ってました。

岩屋神社 奥の院です。


「陰岩」


「陽岩」

仁徳31年(427年)または(343年)には石座信仰が始まったようです。

実はこの下に山道が有り、昔はよく走ってました。で、鳥居が有るので何かお祭りしてあるなぁとは思っていたのですが、山科が始まった頃のものとは思わず何時も素通りしてました。
まさか、こんなに立派な石座が有ったとは・・・

知らなかったとは言え、無礼をはたらいていましたねー。