2008年12月27日土曜日

CB50系 CDI点火用ステーターベース

一品物のレーザーカットを引き受けて貰える所を、ネットで探して発注したんですが・・・
こちらの思いとは違ってました。
以前お願いしてた鉄工所は、何も言わなくても図面通りに作って頂いていたので、そう言うものだと思っていたんですが、どうも違ったようです。
レーザー屋さんは切断しかしないもののようです。


肝心のネジ穴が開いていません。
困りました。コイルを取り付けるネジ穴こそが重要で、丸い形などはどうでも良いんですが・・・
ポンチの代わりにレーザーで印が入っていますが、盛り上がっているような所も有ります。基準となる中心部分は無くなっていますので、正しい位置に印が入っているのかさえ、確認のしようが有りません。金属加工の専門家には分かるんでしょうか?

参った・・・
年明けにでも、以前お世話になった金属加工屋さんに相談に行ってみます。
旋盤が専門なので怒られる?かな・・・


2008年12月21日日曜日

'92年6月15日(盗人谷)

この頃から、TLM220を手放す'95年?頃までは、結構北山方面に出かけていたような・・・


鴨川の上流、三幸橋から氷室へ盗人谷を上った峠?です。
北山と言えば北山杉が有名なんですが、この盗人谷は薄暗くて放置されているような印象の谷筋でした。
しかし、バックを見て頂ければお分りのように、この峠からは手入れの行き届いた杉林になります。


白くなってる部分は、幹に模様をつける為にプラスチックの棒?板?状の物を、びっしり巻きつけてあります。
大変な作業でしょうねぇ。


氷室です。右側の森の中に氷室神社が有ります。この森も正面の森に続いて伐採され、現在は幼木になっているようです。

TLMは色を塗り替えるたびに新車だと言い張ってました。
ですので、これは3代目の'92モデルです。4代目の、'94モデル?は黄色でした。


2008年12月20日土曜日

粟津の晴嵐

近江八景、粟津の晴嵐です。


(国立国会図書館所蔵写真帖 写真の中の明治・大正より)


そして現在。
残ってる松は僅かに3本。
湖岸沿いのなぎさ公園に粟津の晴嵐を再現してるそうですが、いったいなんの意味が有るのだろうか?


TLM220の思い出

このブログにもホームページにも登場しませんが、私が一番長く乗ったバイクはTLM220だったのです。
で、自分のページで書かない代わりに、人様のブログに押しかけ好き勝手に書き込んでいたのですが、自分のブログネタが無くなったので、古い写真を引っ張り出してみました。


'89年の小野です。右側の白い壁はゴミ処分場への道路です。この頃は工事中で入れたんですが、今では一切入れません。当然この風景も有りません。


いろんな所に出かけたのも、TLM220が一番多かった。
これは'91年の暮れです。福井県の小浜までカニを食べに行った帰りです。名田庄村の八ヶ峰に上ってるところです。って、上れませんでしたけど・・・

前夜からの雨?ミゾレ?でツルツルでした。この尾根まで来るのにくたびれて満足してます。
記念に3速でトライしてみたんですが、はなっから上る気は有りませんでした。


ほらね、ツルツルで下りるのが大変なんです。適当にしとかないと京都まで帰れませんからーっ!
手前のバイクは、一緒に行ったO氏のTLRです。


いやー、面白かった!
と、翌年の夏、逆回りで楽しみました。名田庄村で一泊しての帰り道、根来坂の小浜側です。
根来坂の入口は画面を外れた右側に有ります。

今は、私の寝ている林道が滋賀県の朽木まで繋がってしまったようです。
根来坂の道が分からなくなってるかも知れませんねぇ。風情のある良い道でした。


2008年12月5日金曜日

旧東海道本線追分辺り

京都~大津間の名神高速道路が、旧東海道本線の跡地に造られたと言うのは結構知られていると思います。
しかし、全てのルートが名神高速道路になった訳ではなくて、一般道として使われている部分も有ります。
深草~大岩山辺りまでの大岩街道。名神と奈良街道の交差部分~小山のひょうたん池までの道。逢坂山トンネル東口~名神大津インター入口までの国道1号線部分。

で、本題。なぜこの道が有るのか?40年近く前から気になってる道が有ります。


京都東インターの北側を通り、追分のポリボックスのところで旧東海道と国道1号線に合流する道です。
初めてこの道を歩いた時に、なんか変な印象を受けました。街道でもなく。農道でもなく。山道でもなく。住宅街でもなく。(現在は住宅が並んでます)何故この道が必要だったのか・・・
と言う事で、これは旧東海道本線の跡地なんじゃないでしょうか?
南から上がってきた名神が、曲がらずに直進したとしたらこの道に接続されそうです。接続されてから右へ曲り、旧東海道との合流地点辺りで再度名神と合流するのです。
ね、いい感じのカーブに見えるでしょ?


<12月6日追記>
今朝、地図に追分町と書いて有る、文字の5~10m上へ行ってきました。
そこから南側を見た景色です。


名神が尾根を横切って造られているのが良く解りますねぇ。で、真ん中に小さく残る、取り残された尾根の右端が人工的なアールに見え、何の問題も無く現在の名神と接続できそうです。
今の名神の部分は当然山で、このアールの部分に有った旧東海道本線を、蒸気機関車がえっちらおっちら走っていたんだと思うんですが・・・


2008年11月29日土曜日

四宮河原

平家物語 〈六代〉

「最後の御供で候らへば、苦しうも候らはず」とて、血の涙を流して、足にまかしてぞ下りける。若君は、さしも離れ難くおぼしける母上、乳母の女房にも別れ果て、住み慣れし都をば、雲井のよそに顧みて、今日を限りの東路におもむかれけん心のうち、推し量れてあはれなり。
駒を速むる武士あれば、我が首切らんかと肝を消し、物を言い交わすもの有れば、すは今やと心を尽くす。四宮川原と思へども、関山をもうち過ぎて、大津の浦にもなりにけり。粟津の原かとうかがへば、今日もはや暮れにけり。国々宿々うち過ぎうち過ぎ下りたまふほどに、駿河の国にもなりしかば、若君の露の御命、今日を限りとぞみえし。


伊勢参宮名所図会 〈東海道 四宮村 四宮川 巡地蔵〉
橋の両側にスロープが有ります。牛馬や大八車などを通す為の道で、鴨川に掛かる橋には今でも残っている所があります。


この絵の右下方向(北西)から撮影した画像で、奥側が逢坂山(大津)方面です。


左の建物が絵に書いて有る巡地蔵。(徳林庵の六角堂)です。
ベンチの向こうに見えているのが四宮川にかかる橋。軽自動車の向こうの建物はお茶所で、古い茶釜が有ります。
この場所は飛脚や旅人の休憩地だったそうで、手前に見える馬の為に掘られた井戸には、日通のマークである○に通の文字が彫られています。

毎年8月22~23日の地蔵盆には、山科~四宮間は通行止めになり、多くの夜店で賑わいます。
昔は、山科の中心と言えば、ここ四宮川原だったのかも?知れませんねぇ。


2008年11月25日火曜日

石座(いわくら)

山科に住んで50年近くになります。
んが、まったく知りませんでした。申し訳有りません。
最近出来た安物の神様だと、ずーっと思ってました。

岩屋神社 奥の院です。


「陰岩」


「陽岩」

仁徳31年(427年)または(343年)には石座信仰が始まったようです。

実はこの下に山道が有り、昔はよく走ってました。で、鳥居が有るので何かお祭りしてあるなぁとは思っていたのですが、山科が始まった頃のものとは思わず何時も素通りしてました。
まさか、こんなに立派な石座が有ったとは・・・

知らなかったとは言え、無礼をはたらいていましたねー。


2008年10月3日金曜日

TRIAL JOURNAL

四半世紀ほど前の事であやふやな記憶です。
TLM50でトライアルを始めてから半年あまり経った頃だと思います。当時読んでいたRIDING SPORTの情報コーナーに、トライアル専門誌が出来るとの記事が載ってました。
発行はなんと京都書院。「え、何で!」と思ったのが最初の印象です。京都書院と言えば美術書が専門の本屋さん。汗臭いトライアルとは全く結びつきませんでした。
「ま、モノクロのミニコミ誌だろう」と思いながらも、トライアル専門誌と言う事で楽しみに待ってました。
1~2ヶ月経った頃でしょうか、同じ頃にトライアルを始めたAくんが「出てた!」とTRIAL JOUNALを持って現れました。

「おーっ!」


びっくりしました!
ローカルなミニコミ誌では無く、カラー写真を使った全国版のトライアル専門誌でした。
それまでの雑誌は、トライアルの記事と言えば僅か2~3ページしかなく、当然ほんの僅かな情報しかありませんでした。
それがいきなり山本昌也選手の世界選手権スポット参戦レポートです。さらに全日本もイーハトーブも載ってます。
マイナーなトライアルにこんな立派な雑誌が出来たのか、それも京都から発信するとは凄い人が居るものだと、嬉しくて嬉しくてたまりませんでした。

企画/発行したのは、当時京都書院の社員?宮田光幸氏。
聞くところによると、腰のリハビリの為にトライアルを始められたようです。
私が初めてお見かけしたのは、雑誌を発行されてから半年くらい経った頃の草トライアルでした。すでにノービスクラス(現国内B級)での上位入賞が当たり前の実力で、ビギナークラスに初めて出場した私は、少し離れた所から羨望の眼差しで見ていたものです。当然、恐れ多くて声など掛けられませんでした。
後年、知り合いのバイク屋さんで飲む事が有ったんですが、やはりトライアルの先輩であり専門雑誌の編集長、どうしても緊張しました。

早いもので、TRIAL JOURNAL創刊から24年。雑誌名がストレートオンに変わってからも11年経ちました。
始まりが有れば終わりが有るもの、今回、ストレートオンの編集長と発行人を退かれると知り、寂しくもあり残念でもあります。が、これで終わりにされる方では無いと思います。
5年後になるのか10年後になるのかは分かりませんが、何らかのかたちで復帰されるはず・・・
ひと先ずここは、TRIAL JOURNALの創刊と24年間の雑誌発行、有難うございました。とだけ、申しておきたいと思います。

出版不況と言われる昨今、バトンを受け取ったでぃ~さんは大変だと思いますが、某バイク屋でグリップゴムを付けながら(それもペイントスプレーで)「TRIAL JOURNALに応募しょうかなと思ってます」と言った時から、バトンを受け取る事が決まってたように思います。
でぃ~さん。引き受けてくれて有難う。これからもヨロピク。ぐぁんばってね。

さぁ、みんなでストレートオンを力いっぱい読みまくろう!
お申し込みはこちらまで。


2008年9月24日水曜日

家守綺譚(いえもりきたん)

今夏話題になっていた映画「西の魔女が死んだ」の原作者、梨木香歩さんの作品です。
何故に?と思われるでしょうが、舞台が明治中期の山科と言う事で興味を持った訳です。


主人公は、新米物書きの綿貫征四郎。学生時代の親友高堂はボート部に所属しており、山一つ越えた湖でボートを漕いでいる最中に行方不明になった。
その高堂の実家が、湖と疏水で繋がっている山科の安朱辺りに有り、縁有って征四郎が家守をすることになる。
風雨の強い夜、布団を頭からかぶり寝ていると、床の間の掛け軸から突然高堂が出てくる。

──どうした高堂。
私は思わず声をかけた。
──逝ってしまったのではなかったのか。
──なに、雨に紛れて漕いできたのだ。

おいおい、もっと驚けよ!って話ですが、物語は淡々と進みます。そう!ファンタジーです。
四季折々の植物とそれにからむ河童に小鬼、人魚や天女。そんな馬鹿なと、本を閉じても良いんですが、訳が分からない儘なかなかに面白く最後まで読んでしまいました。


ダァリヤの章で、ゴローの帰還を祝い肉を買いに行った征四郎を、犬のゴローが尻尾を振りながら待っていた高架下です。
この道を真っ直ぐに上った所に、庭つき池つき電燈つき二階家が・・・


二階家を過ぎ、この橋を渡ると和尚の居る山寺へ・・・

毘沙門、小関峠、牛尾山。舞台は確かに山科なんですが、すべてはファンタジー。
征四郎が郵便を出しに行く駅は、蹴上に発電所が出来た頃にはこの地には無く、当然ゴローが待ってた高架も無かったのです。
と、その様な左脳的な考えは邪魔なのだと分かっているのですが、ついつい私はその様な事に気を取られてしまいます。
作者がこの不可思議な話で何を語りたいのか、私には理解する能力が有りません。ただただ、作者の発想とそれを表現する教養に、ここ数日ぼーっと感心するばかりです。


2008年9月21日日曜日

地図

国土地理院2万5千分の1、京都東北部と東南部です。
バイクに乗り始めてからですので、25年ほど使ってます。


ボロボロで破れてる所も有りますが、今でも初めての道を走った後は赤ペンで書き入れてます。
発泡酒を飲みながら、この谷のこの辺りから尾根に取り付いてと・・・んん、辻褄が合わんな~。おかしいな~。ちょっと待てよ。この尾根には道が有るんじゃないのか?今度行ってみよう。などと、次の予定を考えながら書き入れるのが楽しいのでありました。


2008年9月15日月曜日

宇佐山城

長等神社のご祭神「宇佐若宮下照姫大神」を調べていて、大津市の宇佐山に織田信長の城跡が有ると知り、昨日出かけてきました。
地図を見ると近江神宮の裏山が宇佐山。中腹まで復員1.5m~3.0mの道が有り、終点に鳥居のマークが書いて有ります。よし!この社から歩こう。


地図では鳥居のマークだけだったので、小さな社くらいに考えていたんですが違ってました。
「宇佐八幡宮」
本殿は小さいのですが、拝殿が立派で境内も広く大きな神社でした。
偶然ですが、今日9月15日がお祭りで境内は綺麗に掃き清められていました。今年は950年祭だそうです。
本殿から下った雑木林に城跡の案内板が有り、其処から取り付きます。
最初ははっきりした踏み跡も無いんですが、頂上を目指して歩き出すとテープが所々に張ってあり、獣道のような踏み跡がでてきます。
急斜面の道を汗だくになって上ると石積みが見えてきました。
比叡山の監視と、北国街道や京へ入る山中越えの抑えとして、信長が築かせた城です。
比叡山焼き討ちの際には、この宇佐山城で全軍の指揮をとったのだそうです。


本丸の石積みです。
城の構造は分かりませんが、この石積みの横に空堀のような溝があり溝の上を歩いていくと・・・


あらまよ~。もっと歩きやすい道が有ったのねー。

本丸が有った頂上には・・・


NHKと民放各社の宇佐山送信所が有りました。

と言う事は、こちらから下れば楽?かも~。


しかし、急な階段で膝に負担がかかります。

で、どうにか下りた先は・・・


舗装路に出ました。右側の細い棒は、資材を上げるためのモノレールです。

さ、宇佐神社への道は?っと・・・
地図を広げて見てみると・・・げっ!もう一つ、げっ!目の前にある道路は山中越えの道。180度反対側に来てます。おまけに道が無いし!近道が無いし!ぐるっと遠回りをするか、今きた道を引き返すか・・・
引き返しましょうね。やっぱり・・・


また、この山を越えるのかよっ!
仕方が有りません。急な階段をえっちらおっちら上り、城跡からそろりそろりと獣道を下ります。
ゆっくり下っているのですが、半分も下ってない辺りで膝が痛くなってきました。2年前に仕事で右膝を痛め、20年程前にはバイクで左膝を痛めてます。最近は痛みも無くて調子が良かったのですが、山越えの往復はちょっとヤバイですね。
で、一計を案じて、木に掴まりながら後ろ向きで下ってみたら・・・
うふっ。痛くな~い。なんともな~い。やはり、下りは膝に負担がかかってるんですね~。
皆さんも、山で膝が痛くなったら後ろ向きで下ってみてください。ただし立ち木の有る所で掴まりながらでないと危ないですが・・・

ふんじゃ、今日はこんな按配で。失礼をぶっこきます。しーゆーねくすとねー。


2008年9月13日土曜日

長等神社

大津市三井寺町の長等(ながら)神社です。


今まで数百回この前を通ってますが、お参りどころか立ち止まった事さえ有りませんでした。朱色の楼門が立派過ぎて、恥ずかしかったのです。(なんでや!)
が、先週の事です。楼門の横にこんな杭が有るのを見つけました。


天智天皇の頃、須佐乃男命と大山咋命を長等山の頂上に奉り、1054年に現在地に移されたと書いて有ります。
そうと知ったら長等山の頂上に行ってみたくなりました。
長等山園城寺(三井寺)の裏山、354mのピークが長等山のようです。
長等山へは、三井寺の境内を通って藤尾奥町へ越える「坊越」から上るのですが、バイクで境内は走れませんので、林道から「坊越」へ入りました。


分かり難い写真ですが、右側の数本木が有る所に三井寺から上ってきた道が有ります。左に藤尾奥町へ下りる道が有り、この場所が「坊越」です。
柵の右側は近年出来た林道で、柵の左は小関峠からの尾根道です。
画面の左上に斜めに上る道が分かるでしょうか?この道が長等山へ上る道です。
この道は如意ケ岳や大文字へ上る道で、今まで何度も走ってます。唯の山道だと思ってたんですが、最低でも7世紀中頃に出来た道だと思うと感慨深いものがあります。


半分ほど上った所にお地蔵様が居られます。
今まで、なぜこんな山の中にお地蔵様が居られるのか不思議だったのですが、頂上に神社が有ったと言う事で納得できました。
今ではハイカーがたまに通るだけですが、昔は参拝の人が行き交っていた道なんですね。
しかし、今でもお札が置いてあると言う事は、三井寺の関係者が上がってこられてるのかも知れません。


バイクはここまで。尾根伝いに10mほど歩けば354mのピークです。


954年前の事ですので何の痕跡も有りません。何の変哲も無い唯の山です。
しかし、木が無ければ琵琶湖を一望し、大津宮や三井寺が眼前に広がるで有ろう場所でした。
須佐乃男命はこちらの場所が好きだった?かも知れませんね。


2008年9月8日月曜日

ソライロタケ(空色茸)

なんと!コバルトブルー。

こんなキノコは初めて見ました。


ネットで調べたら、ソライロタケと言うそうな。
なるほど。


2008年9月7日日曜日

トレッキング

雨上がりの薄日の中、何時ものコースを走ってきました。


頂上から少し下った所です。
ふと見ると、足元に色んなキノコが出てました。

おりゃーっ!


とりゃーっ!


でりゃーっ!


毒が有るのか食えるのか?果たして名前は何なのか?キノコはさっぱり分かりません。
当然私は採りません。キノコはスーパーで買うものなのねー。
って、去年?東北のスーパーで売ってたキノコで、中毒事件が有ったような・・・


チラ見ですが、この道を下った所に萩の花が咲いてたような?
今年の秋は早いかも・・・


2008年9月6日土曜日

新品グローブ

アフリカ象うれピー!じゃ無かった。インド象うれピー!でも無かった。マンモスうれピー!


大きい声では言えませんが、(ストレートオン)小さい声では聞こえない。(ストレートオン)私のグローブの有り様を見て、秘密の在庫を譲ってもらう事ができました。
これで、来年の夏までグローブの心配はいらないかも・・・?
でぃ~さん、有難うございました。
トライアル情報誌「ストレートオン」の定期購買は、こちらから・・・


2008年9月3日水曜日

グローブ

きえーっ! とりゃーっ! なんじゃこりゃーっ! こんちくしょーっ!


最後のグローブがこの有り様です。

元はAXOのブランドで販売されてたFET極東のグローブなんですが、保管してた期間が長くて風化(紫外線で劣化?)してたようです。あっという間に破れました。
トモエ・プロダクツのグローブを使う前は、このAXOとボスコモト、それにTOM'Sのグローブがお気に入りでよく使ってました。
ああああ、どうしてくれよう!
新しいグローブが・・・欲すい。欲すい。欲すい。欲すいのだー。


2008年9月1日月曜日

コインドライバー

今までCB90系エンジン(TLR200)のL.クランクケースカバーのキャップは、バイスグリップでワッシャーをくわえて回してたんですが、どうにも回しにくいので思い切ってコインドライバーを購入しました。


TOPのコインドライバーはこのサイズしか無いようです。
タイミングホールキャップに当ててみると・・・
とぉぉぉぉぉーっ!


タイミングホールキャップには、サイズが合ってるようです。
が、真ん中のクランクシャフトホールキャップには・・・
たぁぁぁぁぁーっ


サイズは合ってないんですが、片面が丸くなってるワッシャーに比べるとはるかに引っ掛りが良く、回しやすそうです。
これで回しにくければ、最近のモデルに使われているヘキサゴンソケットタイプのキャップに交換するかも・・・です。


2008年8月31日日曜日

料理ばかり

以前から欲しかった料理ばかりを買いました。


料理用ですので表示は1g単位。当然4気筒ピストンの重量合せなど、シビアな事には使えません。
郵便料金を調べるのに欲しかったんです。今まで定形外の料金を調べるのに、いちいち郵便局へ出かけてました。メンドクセー!
(姪っ子に言わせると、確かに私はメンドクサイ男ですけどぉ・・・)
早速、試しに計ってみませう・・・
どりゃー!


TLM50の鉄製ブレーキアームは78グラム(定形外140円)
続いて・・・
うりゃー!


TLR200のアルミ製ブレーキアームは32グラム(定形外120円)
おっ!46グラムも軽い。半分以下の重量じゃないですか~ TLM50の人はTLR200のブレーキアームに交換しましょー!リヤが46グラム軽くなりますよー!
と、このように遊ぶんですねー。
どーですかー・・・


2008年8月24日日曜日

セクションマーカー

昔、草トライアルで使ってた備品が出てきたので紹介します。
トライアル経験者は皆さんご存知ですが、トライアルはセクションと言う限られたエリアを走って減点数を競う競技で、主催者側がそのセクションを設定します。
で、必要な物がセクションを示すマーカーと走行範囲を設定するテープです。選手権になるとメーカーの支給品?のテープが有ったりしますが、我々アマチュアの草トライアルでは、梱包用の赤と青のテープを使うのが一般的?です。
(走行するラインの右側が赤で、左が青になります。赤と青の中で有れば何処を走っても構いません)


IN、OUTや、セクション番号のマーカーは各クラブの手造りですので、書体や大きさはまちまちだと思います。
このテープとマーカーで、あーでもない、こーでもないとセクションを設定する訳ですが、苦労するのはビギナーのラインです。難しすぎても駄目、簡単でも駄目。さじ加減が非常に微妙です。
ベテランのラインは、サービスで?ちょっと難しめに設定してましたねー。
右下に有るのは選手に渡す採点カードです。10セクション4ラップまで使えるようにしてありますが、そんな長丁場の試合は有りません。


このマーカーを作ってる素材が本日のお勧め品です。
素材はビニールようなプラスチックで、段ボールのような作りになってます。軽くて割れ難く、普段の練習には打って付けの素材だと思うんですが、どうでしょうか?
ただ、軽過ぎて風の強い日には飛んでいきますので、重しが必要になります。
文字はカッティングシートを切り抜いて貼り付けてます。仲間内のコンペでも、それなりの雰囲気が出ますので・・・